観光案内

古代丹後大国の中心地 峰山町

国指定重要文化財 縁城寺 木造人手観音立像 【大田南5号噴出土品(方格規矩四神鏡)】

国指定重要文化財 縁城寺 木造人手観音立像

インドの僧で朝廷に来ていた善無畏三蔵が、養老元(七一七)年に紫の雲がたなびくのを見てこの地を訪れたときに、梵天・帝釈の化身である二人の童子が現れ、千手観音像と鏡と珠を授けたというのが縁起の古刹です。
この千手観音を本尊として建立し、一時は丹後の信仰の中心として繁栄しました。

仁王門から金堂まで300mあまりの間に七院・二十五坊があったといいます。
これらの建物は現在は残っていないが、丹後随一の寺として知られています。

丹後ちりめんと絹屋佐平治碑

丹後ちりめんと絹屋佐平治碑

江戸享保年間(1719年)、峰山の人・絹屋佐平治(後の森田治郎兵衛)によって織り出された丹後ちりめんは、京極峰山藩の奨励策もあって、またたく間に丹後一円に広まり、城下町峰山を日本有数の絹織物の集散地に飛躍させました。
ちりめん問屋、糸店、定便屋がところ狭しと軒先をつらね、京阪神方面からの取引でにぎわった峰山の街は、その面影を今日までとどめています。
街の中心部を流れる小西川をさかのぼること約3キロのところにあります。
ここに絹屋佐平治が断食祈願をして、ちりめん織りに成功した小西山禅定寺があります。
佐平治が寄進した丹後ちりめんのルーツは、黄金色に輝いており、必見です。

商売繁盛・縁結びの金刀比羅神社

商売繁盛・縁結びの金刀比羅神社

峰山町泉にある金毘羅神社は、文化8年(1811年)、ときの峰山藩主・京極高備(たかまさ・七代)が讃岐の金毘羅権現の分霊をお迎えしたことに始まります。
商いの町峰山を映して商売繁盛や縁結び、受験の神様としても親しまれ、丹後一円からの参詣客でにぎわいます。

常立寺[じょうりゅうじ](京丹後市峰山町)峰山藩主―京極家の菩提寺[ぼだいじ]

常立寺[じょうりゅうじ](京丹後市峰山町)峰山藩主―京極家の菩提寺[ぼだいじ]

峰山藩京極家・初代藩主京極高通は1616年峰山「常立寺」の北側吉原山腹に陣屋を築き立藩し、明治維新まで存続しています。
常立寺は高通が陣屋など整備したとき、近くにあった光明寺を現在の常立寺地に移し、そのとき徳川2代将軍秀忠の命により真言宗から浄土宗に改宗し1676年光明寺から「常立寺」と改名し、京極家と丹後ちりめんの祖「絹屋佐平治」の菩提寺としています。

開創:1555年 本尊:阿弥陀如来
不動明王像(画) 市指定文化財
鎌倉時代 釈迦十六善神像(画) 市指定文化財 南北朝時代
京極家歴代藩主肖像画 市指定文化財 江戸時代
京極家墓所 市指定史跡

震災記念館

震災記念館

昭和2年3月の丹後大震災の教訓を後世に残そうと、市街地の小高い丘に建てられたのが震災記念館です。
近代の名建築にも指定を受ける建物ですが、桜の名所としても親しまれていて、絢爛と咲く花見の頃はたくさんの人でにぎわいます。
デートコースにも最適です。

籠神社[このじんじゃ] 京都府宮津市大垣名神大社 丹後国一宮

籠神社[このじんじゃ] 京都府宮津市大垣名神大社 丹後国一宮

「元伊勢籠神社」とも称し、主祭神は彦火明命[ひこほあかりのみこと]「天火明命[あめのほあかりのみこと]」「天照国照彦火明命」ともいいます。社家海部[あまべ]氏の祖神。
御本殿は伊勢神宮と同様の唯一「神明造り」。
特に高欄上の五色(青、黄、赤、白、黒)の座玉[すえたま]は、伊勢神宮御正殿と当社以外では拝せられないもので、日本社神建築史上、特に貴重なものとされています。
神明造りのお社で、規模・様式とも伊勢神宮御正殿の様式に近似しているお社は当社以外にはなく、当社と伊勢神宮が古代から深い繋がりにあったことを物語っています。

羽衣伝説 天女の里・乙女神社

羽衣伝説 天女の里・乙女神社

天女の里
家族みんなで大自然を満喫できます。
羽衣伝説の山・磯砂山の麓に、一大レクリエーション施設が誕生しました。
キャンプ場、コテージなどアウトドアを思いっきり楽しめる施設です。

乙女神社
羽衣を隠され帰れなくなった天女は、狩人の妻になり、3人の娘をもうける。
あの羽衣伝説を伝える神社で、天女の娘が祀られています。
また、この地方に伝わる養蚕や機織は天女によってもたらされたという。

比沼麻奈為神社[ひぬまないじんじゃ]

比沼麻奈為神社[ひぬまないじんじゃ]

豊受大神は崇神[すうじん]天皇の時代、天皇の代理として皇女[こうじょ]、豊鋤入姫命[とよすきいりひめのみこと]が天照大神の御神霊を奉じて大宮処を御選定すべく丹波国(現在の丹後国)吉佐宮[よさのみや]に御遷幸[ごせんこう]になったとき、当社に鎮座されていた豊受大神が天の真名井の清水にて作られた御饌[ごせん](ご飯)を大神に捧げられたと伝えられ、その後”天照大神”は吉佐宮を離れて現在の伊勢の五十鈴の宮(内宮)に御鎮座になりました。
その後、雄略天皇の夢の中に天照大神が現れ、”吾はここに鎮座しているが自分は一所のみに居てはいと苦しい。ついては丹波国”比沼の真奈井原に坐す吾が御饌の神「豊受大神」をば吾許に呼寄せたい、という趣の御告げがありました。
そこで天皇は大佐々命を丹波国(丹後国)遣し、現在の伊勢国山田原の大宮(外宮)に御遷座あらせられたのが雄略天皇22年(西暦478年)9月のことであり、跡に御分霊を留めてお祀りしているのがこの「比沼麻奈為神社」です。

日本三景 天橋立

日本三景 天橋立

宮津湾の西端を横切るように、白砂青松の松並木が続く天橋立は、神が架けた橋と言い伝えられ、陸前松島、安芸の宮島と並んで日本三景のひとつに数えられます。

また、船が通るたびに90°回転する廻船橋、ハマナス群生地、橋立明神、名水百選の磯清水など多くの見どころや、海水浴や釣りが楽しめる他、レンタサイクルや名物の輪タクなどで天橋立散策もできます。

海上高床式建物 舟屋

海上高床式建物 舟屋

1階が舟や漁具の格納場所、2階が住居という造りの家屋です。
伊根湾を囲むように約230軒もの舟屋が立ち並び、伊根独特の景観を作り出しています。

この光景は伊根湾から遊覧船でも楽しめます。

浦島太郎を祀る浦嶋神社

浦島太郎を祀る浦嶋神社

丹後の名士だった浦嶋一族の業績をたたえて創建された社で、『浦嶋子』つまり昔話や唱歌で親しまれている、あの浦島太郎を筒川大明神として祀っている。
豊漁・縁結び・長寿祈願などに地元に厚い崇敬を受けています。

神社の正面には、天長二(825)年に創建されたという古式豊かな社殿があり、玉砂利を敷き詰めた境内の右手には、伝説の玉手箱や極色彩の絵巻物など数々の秘宝を納めた宝物館が建っています。
尚本庄浜には、ここから浦島太郎が船出したという伝説が残されています。

経ヶ岬灯台

経ヶ岬灯台

丹後半島の先端、海抜140mの断崖に立つ経ヶ岬灯台は「京都百景」に選ばれた景勝地です。
明治31(1898)年12月25日に初点灯されました。
レンズは全国で6灯台しかない最高級の第1等レンズを使用しています。

絶景 丹後松島

絶景 丹後松島

此代から東方、経ヶ岬の方を見る眺めが日本三景のひとつ「松島」に似ているので、丹後松島と呼ばれています。
「京都百景」のひとつです。

古代の里資料館

古代の里資料館

丹後には4世紀中頃から6世紀はじめにかけて、王国とも呼ぶべき存在が竹野川流域を中心にあったと言われています。
それを物語るかのように丹後には日本海最大の銚子山古墳をはじめ、5000基に及ぶ古墳があり、数多くの出土品や遺跡群があります。

丹後王国 西日本最大級の道の駅

丹後王国 西日本最大級の道の駅

丹後王国「食のみやこ」~豊富な海鮮・野菜・牛肉など丹後の食材を使ったレストラン、天然ラドン温泉、夜は遊歩道のイルミネーションの輝き、癒しのときを提供するホテル「ホテル丹後王国」など「海の京都」として、海にまつわる伝説や歴史の宝庫として観光客の関心、人気を集めています。
松葉ガニを初めとする食の豊かさ、丹後半島の絶景など自然も満喫するスポットや体験メニューも人気です。

いつ見ても丹後の海は美しく、すべての面で家族・カップルに夢と感動を与えようと昔の王国が皆様の来丹を待っています。

細川忠興婦人「玉」ガラシヤの碑

細川忠興婦人「玉」ガラシヤの碑

細川忠興の妻、ガラシヤ(明智光秀の次女)が、本能寺の戦禍から逃れ、この山深い味土野に隠棲しました。数奇な運命に彩られ、夫忠興のために殉じて果てた婦人の生涯は、戦国の世に咲いた一輪の花として現在に語り伝えられています。

磯砂山散策

磯砂山散策

標高661m、峰山の最高峰で、大江山・天橋立・小天橋が一望できます。
頂上には、天女モニュメントが設置されている展望台『てんてん広場』があり、すばらしい景色が疲れを癒してくれます。

内村ブナ林

内村ブナ林

五十河から3.5km北東、標高400mの内山山系にブナ林があります。
広さは約40haにおよび、300種以上の植物が自生しています。

幹の周囲が3.65mもある府内最大のブナをはじめ、珍しい生き物が生息していることなど、学術的にも貴重な地域であると注目されています。

小野小町ゆかりの里

小野小町ゆかりの里

小町伝承に彩られた五十河の地にある公園です。

寝殿づくりをイメージして建てられた小町の舎は、美しい自然に囲まれ、時代をタイムスリップしたような幻想的な雰囲気をかもし出しています。
また、中央のエントランスホールでは、小町のブロンズ像が訪れる人を優しく迎えてくれます。